やだんこ!

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リレー小説・だっくる(完結)

ぼくの嫁は「りるれの三姉妹」と呼ばれ、地元の上谷では知らないものがいないほどの有名人だった。長女りみ、次女るみ、そして三女がぼくの嫁、れみ。


三人は、円満な家庭環境の元、すくすくと育った。外で遊ぶことが好きな二人の姉に比べ、れみは家で図鑑を眺めることが好きなおとなしい性格だった。

作りのしっかりした、硬い紙の図鑑を触っているだけでれみの心は落ち着いた。
昆虫や植物に乗り物……家にない図鑑は学校の図書室で借りて帰る。ランドセルはいつもの2倍くらい重くなったが苦にはならなかった。

ある日、母親についていった本屋で『妖怪図鑑』なるものを見かけ、れみは心を奪われた。

妖怪図鑑に出てくる言葉はれみの語彙にはないものばかりだった。
ひょうすべ、ぬらりひょん、いったんもめん……不思議なひらがなの並びにれみは惹かれていった。

「あれ」

図鑑を繰っていたれみは思わず声をあげた。開いたページにはざしきわらしのイラストが描かれている。

「お姉ちゃんにそっくりだ」


その頃かられみは、奇妙なことに気づき始めた。


三姉妹の家庭は恵まれていた。この時世にさして需要があると思われない桶屋にしては、異様なほど。商売っ気のない呑気な父が乗り回しているのは大層なスポーツカーだった。


最も奇妙なのは、どれだけ探しても、るみだけ、赤ん坊の頃の写真が見つからないことだった。


「お姉ちゃんはざしきわらしなのかもしれない」

ざしきわらしは憑いた家は栄え、しかしその一方で、居なくなってしまうとその家は没落するとも図鑑には書かれていた。幼さゆえの無邪気さで、ほとんどるみがざしきわらしだと信じ込んだれみは、姉から片時も離れないことを決めたそうだ。

「それを切っ掛けにわたしは外で遊ぶようになって、いつのまにかテニスで県大会に出ていたのよ」

昔を懐かしむような口調とは裏腹に、いたずらな表情を浮かべながら、れみはぼくに教えてくれたのだった。

「この大嘘つきめ!」


ぼくがいつものノリでそう突っ込むと、れみはぽかんとしたあとににっこりと笑った。


「なにが嘘だとおもったの?」


「全部。まずテニスで県大会にでたなんて聞いたことないし」


「座敷わらしは?」


「大嘘だろ」

 

思わず鼻で笑ってしまう。座敷わらしはもちろん、妖怪なんて昔の人が考えたこじつけだ。

 

「ふーん、信じてくれないんだ」


いたずらっぽい表情を浮かべながらも、れみはほんの少しさみしそうな顔をした。そのとき僕はそれを、ちょっとしたつくり話にのってくれなかったことへの表情だと受け止めた。それ以上の深い意味なんてあるわけがないと思っていた。
でもれみはその翌日から姿を消してしまった。


れみは一週間経っても帰ってこなかった。何度も電話をかけたが、携帯の電源が入っていないという返事だけが帰ってきた。

 

誰かにれみの失踪を伝えなくてはいけないと思ったが、れみと僕の共通の友人はいなかったし、彼女の実家の連絡先を僕は控えていなかった。

 

警察に連絡するべきなのかもしれない、と考えはじめた頃、一本の電話がかかってきた。
りるれの三姉妹の長女、りみだった。

 

「もしもし」
「りみです」
「あ、お世話になっております」
「特に、お世話してません」
「すみません」
僕は謝った。慣用句的表現を使っただけでなぜ謝らなくてはならないのだろうか。

 

「れみがいなくなったと思うのですが」
りみがはっきりと言うので僕は驚いた。

 

「え」
「え、とは?」
「いや、なぜご存知なのかと」
「わかりますよ」
りみは呆れたように言う。
「上谷の家に悪いことが続いていますから」

「どういうことですか」
「悪いことが続いているのは、れみがいなくなったからです」

「え?」
「れみは何も言っていないのですか」
「何もって、何を?」

 

「れみは座敷わらしなのです」
りみははっきりと言った。

 

上谷は僕の家から電車で二時間ほどのところにある街だ。
電車に乗っていると、僕の住む街のビルでごちゃごちゃした様子から、だんだん建物が低くなっていって、まばらになり、あっという間にひらけたところに出る。畑と田んぼが延々と広がっているこの上谷でりるれの三姉妹は育った。

 

れみは大学進学を機に上谷を出たが、りみは実家に残り、るみは若くして他界してしまったと聞いている。

 

駅に迎えにきたのはりみだった。

 

「おはようございます」
僕の挨拶に、りみは、
「こんにちは」
と返した。

 

「すみません、わざわざ迎えに来ていただいて」
「車で行かないと、かなり距離がありますから」
「ありがとうございます」
「いえ」
りみは長い髪をなびかせて、さっさと歩いていく。

 

駐車スペースには真っ赤なスポーツカーが停まっていた。りみがそのスポーツカーに乗り込んだので、僕は助手席のドアを開けた。
「だめ」りみは言う。「後ろに乗って」
「はい」
僕はりみの言う通りにした。

 

「どうして知らなかったんですか?」
サングラスをかけて運転を始めるなり、りみは言った。
「座敷わらしのことですか」
「そうです」
「聞いていませんでした」
「そんなことってありますか? 夫婦でしょう?」
「いや、まあ……」
りみの言葉に僕はつい語尾を濁してしまう。

 

僕とれみはわりあいに仲のいい夫婦であるつもりだった。しかし二人の間には共有されていない事項がいくつもあったのだろう。
少なくともれみは自分が座敷わらしであることを僕に隠していた。

 

「れみは」僕は言う。「るみさんが座敷わらしだと話していました」

「それも本当」
りみはギアチェンジをしながら言う。今時珍しいマニュアル車だ。

 

「るみは座敷わらしで、上谷の家を栄えさせる仕事を終えて、いなくなった」
「いなくなった?」
「ものごとを円満に解決させていなくなったから、今回のれみの場合とは違うと思います」

「じゃあ、れみは」
「わかりません。もともと情緒不安定気味な子ではあるけれど、座敷わらしとしてのいろいろを投げ出したりするタイプではないはず」
りみは続けて言う。
「どこへ行ったのかさっぱり見当がつかない」

 

ひたすらに田んぼと畑の広がる道をしばらく走っていくと、ちょっとした住宅地に出て、大きな病院が見えてきた。りみはウィンカーを出して病院の駐車場へ入っていく。

 

「先に父さんの顔を見てから行きましょう」りみは言う。「家で転んで具合を悪くしたの」
「お怪我はないんですか」
「見た目ではわからないから今日検査をあれこれしているはず。なにしろ歳だから、骨の数本折れているかもしれない」

 

黙っている僕にりみは駐車券を取りながら言う。
「れみがいなくなったことでこういう不幸がやってきているんです。あなたもそうでしょう?」
「いや、特には」
「給料が急に下がったとか」
「べつに」
「怪我をしたとか」
「してないです」
「コンビニでお弁当を買ったら箸が入っていなかったとか」
「そんな小さいことですか。それもないです」
「ないの? おかしい……一番にあなたのところに被害が出るはずなのに」

 

りみは考え込みながら車を停め、すっと車から降りて病院の方へすたすた歩いて行ってしまった。僕は、首を傾げ考え事をしているりみを走って追いかけた。


エレベーターホールでやっと追いつき、閉まりかけていたエレベーターのドアをこじ開けて、僕はりみに病室がどこにあるかを聞き、階数ボタンを押した。りみはまだ考え込んでいる。

 

エレベーターが開いたとき、りみは「あ」と声を上げた。
「どうしました?」
僕の質問には答えずりみはすたすたと歩いていく。僕はまた小走りでりみを追いかけた。

 

義父の病室は廊下の一番奥にある個室だった。
「お、お久しぶり」
義父が手をあげる。薄い青の浴衣のような病院着を着ている以外は顔色も良く、元気そうに見えた。

「お久しぶりです」
「いや、ちょっと家の中で転んでしまってね」
「検査はどうだった?」
りみが聞く。
「どこも異常なし。打撲が少しあるくらいだった。念のため今日は泊まって、明日退院できるそうだ」
「よかった」
「死んだかと思ったよ、ひどく転んだから」
義父は笑う。りみが真剣な顔で頷いているところを見るとよっぽど危険な転び方をしたようだった。

 

「そうそう、れみがうちに来ているみたいだ」
義父の言葉に僕とりみは驚いた。
「会ってあげてくれるかな?」
僕の目をまっすぐ見ながら義父は言う。僕は、はい、と返事をしようと思うのだがなかなか言葉に出せず、もたもたしているうちに待ちきれない様子のりみが病室を出たので、僕は義父に頭を下げてりみの跡を追った。

 

りみは車に乗るとすぐにエンジンをかけた。僕はなんとか出発する前に車に乗り込むことができた。


住宅地を少し離れると見たことのある景色になってくる。病院からりるれの三姉妹の家まではそれほど遠くないようだった。

 

「そんなに」りみは苦々しげに言う。「そんなにれみが嫌い?」
「嫌いじゃないです」
僕は、嫌いじゃないという言葉は不適切だなと思い言い直した。
「好きです」

 

「でもれみの話を信じなかったんでしょ?」
「いや、れみは」
「るみが座敷わらしだという話だけをしたのよね、多分」
「そうです」僕は言う。「その話は僕は冗談だと思ったし、れみも自分が座敷わらしだとは言っていなかった」

 

「言えると思いますか?」
りみは敵を見るような目で僕の方を向く。
「あなた、自分が妖怪だったとして、そのことを人に言えるんですか?」
「妻になら、言うと思います」
「あなた、あなたって人は……。妖怪だったことがないからわからないのか、それとも人の気持ちがわからないのか、まったくもう」
呆れたようにりみは言う。

 

「座敷わらしと結婚しておいて、座敷わらしだって気がつかないなんて信じられません。しかもるみの話をヒントとして出していたのに」

 

「気がつきませんよ普通」
「普通って何?」
りみは言って、続ける。
「私たちの普通はれみが座敷わらしであること。座敷わらしの存在を否定するなんて、普通、ありえないと思います」
僕は黙るしかなかった。

 

りるれの三姉妹の家は大きな屋敷だ。いつ訪れても驚かされる。昔ながらの縁側や土間のある、漫画にもなかなか出てこないような古風な作りで、よく手入れのされている家である。

 

玄関前にれみが立っていた。

 

りみは車を止めるとれみの元へ駆け寄り、れみの頬を引っ叩いた。そして強く抱きしめた。

 

僕は車から降りて立ち尽くしていた。

 

れみはかなり痩せたようだった。もともとややぽっちゃりとした体型だったれみの頬がすこしこけてシャープなラインになっているのを見て、僕は泣きそうになった。

 

りみとれみはあれこれ話をして家の中に入っていった。僕は戸が閉められてもしばらく動くことができなかった。

 

ようやく家の中に入ると、りみが台所から麦茶を運んでくるところと出くわした。りみは僕を睨みつけて居間の戸を開けた。僕も居間に入った。れみが姉から麦茶を受け取るところだった。


僕はれみの向かいに座った。僕の分の麦茶は出てこなかった。

「れみ」
僕はれみに呼びかける。れみはこちらを向いて照れくさそうに笑った。
「なに?」
「どこに行ってたの」
僕が聞くと、
「あなたたちの家の天井裏に隠れていたんだって」
と、りみが答えた。

 

「天井裏に?」
れみは頷く。鎖骨がはっきりと浮き出て見える。ずいぶん憔悴している様子であることに僕は責任を感じた。
「この大嘘つきめ! だって?」
りみは口の片方だけをあげて嫌な笑い方をする。
「ひどすぎる」
「いや、あれは冗談で」
僕が弁解しようとするとれみが、
「そう、私たちの間で流行っている冗談だったの」
と言った。
「でも悲しくなったの」
とれみは続けた。

 

「ごめん」
僕は言う。れみは頷く。
「そりゃそんなに近くにいるんだから不幸ごとも起きるわけないわよね」りみは言う。「父さんが転んだのは、たぶん、れみの悲しみの気に当てられたんだと思う」
「ごめんなさい」
「れみが謝ることじゃない」
りみはれみの頭を撫でる。僕はそれを何もできずに見ている。

 

「離婚、する?」
僕は恐る恐る言った。
「え?」
れみがぽかんと口を開けてこっちを見る。
「いや、なんか、申し訳なくて」

 

「この馬鹿!」
りみが座卓の上に飛び乗って、僕をばしばしと叩き始めた。
「お姉ちゃん、やめて」
「全然わかってない! れみのこと理解する気がないのをそうやってごまかして! 馬鹿! 馬鹿やろう! あほ! まぬけ! うんこ! うんこたれ!」
「お姉ちゃん、うんこはやめて」
「うんこ! うんこ!」
「お姉ちゃん、あんまり汚い言葉知らないからって、最上級の罵りがうんこなのおかしいよ、はは、ははは」
れみが笑いだしたのでりみは僕に暴力を振るうのをやめた。

 

れみは、はー面白くてお腹痛い、と言いながら笑ってうつむいた。僕は、動こうとしたりみを制して、座卓の上に飛び乗り、れみの肩を掴む。
れみは笑いながら泣いていた。

 

「れみ」僕は言う。「ごめん」
「うん」
「本当にごめん」
「うん、うん」
「座敷わらしでもいいから」
と言ってから、僕は言い直す。
「座敷わらしのれみがいいから」

 

れみはぽろぽろ涙をこぼしながら僕にしがみついてくる。僕はれみを抱きとめた。
僕もつられて泣けてきてしまって、二人でわんわん泣いた。

 

どれだけ泣いたのかわからない。やっと涙が落ち着いてきた頃に、りみが居間に入ってきた。僕とれみは泣いていたから、りみがいつ部屋から出ていったのか全く気がつかなかった。
「これ」
りみは分厚い封筒を差し出す。れみが受け取って、中身も見ずに、
「こんな大金もらえないよ」
と言った。
「結婚式やってないでしょ。花嫁姿を私たちに見せてほしいの」
「お姉ちゃん」

 

「あ、このお金は私一人からじゃなくて、お父さんとお母さんとるみと私からだからね」
「亡くなったお母さんから?」
僕は聞き返した。
「ちょっと、お母さんを勝手に殺さないでよ」
れみは笑った。
僕はてっきり、三姉妹の母親は姿を見せたことがなく、みな母親について話すときは言葉を濁していたから、母親は亡くなったものだとばかり思っていた。


「お母様は、どちらに」
僕は言う。りみは笑って上を指差した。僕は天井を見る。途端にどたばたと天井裏から足音が聞こえてきた。
「え? 天井裏に?」
「れみは、お母さんの真似をしたのよね」
りみにそう言われて、れみは恥ずかしそうに笑った。


僕はれみをずっと守っていこうと思った。

 

(完)