コージーコーナーで朝食を。
コージーコーナーという名に聞き覚えはありませんか?
僕がはじめて「コージーコーナー」の名前を意識したのは『フルメタル・パニック!』の何巻目だか忘れてしまったけれど、軟弱を極めるラグビー部が相良宗介軍曹の手によって海兵隊員のような鬼に変わってしまう回を読んだときのことでした。
その時にラグビー部の部員が、お茶をいれて「いま、駅前のコージーコーナーにケーキを買いに行かせています~」みたいなことを言っていて「おお?」と思ったのです。
駅前のコージーコーナーというのは、当時の僕にとっては謎のフレーズであった。例でいえばなんだろう。武家伝奏とか細川家被官とか、守護階層とか讃岐郡三沢村における特殊婚姻と村落構造とか、それぐらい謎に満ちたフレーズで、結局武家伝奏のことはわかっても山科家家職のことはわからないし、久我家の古文書があっても荘園管理のことはわからない、といった具合でした。
コージーコーナーが何かわかったのは、都心にでた某駅で「おみやげ」を探していた時でした。
だっさい80年代風の極太文字で「コージーコーナー」と書かれ、手前には「銀座」ととってつけたような楷書体で書かれている!
この雰囲気はあれだ「銀座アスター」に似ている、と瞬間的に思ったのです。
そして、見た。そこに並ぶケーキの数々を。
本当に売れるのか、こんなに、人は、ケーキを食べるのか?
というか、ケーキを食べるスペースは、ないのか?
こんなに、都心の駅前でケーキを買って満員電車に乗る人がいるのか?
僕が同時にいくつもの疑問を感じ、しかし華やかできらびやかな、バブル期の清里とか巨大ショッピングモールの開発で持ち直した軽井沢とかの、過去のおしゃれを全身に浴びたのです。
コージーコーナーの、ケーキを食べたい!!
僕はその時つよく思った。
強く思ったが、コージーコーナーのケーキ、そしてコージーコーナーは「男が一人で入り、ありがねの大半をはたいてケーキを買い、公園で一人で食べる」といった用途を想定していない店構えをしていた。
そしてそこに居並ぶ人たちも、明らかに一人で食べる分しか買わないといった消費行動を実行するような人はいなかった。
その駅から自宅まで2時間かかった。2時間かけて還ったさきで、それでもなおこのコージーコーナーへのあこがれ、そしてケーキの物理的な形を維持したままの運搬ができるとは思えなかった。絶望とは世界の終わりをいう。そして断念した。
またこんどにしよう・・・・・・。
・・・・・・それから結局、その駅に赴くことはなかった。今もなく、これからもないと思う。
もうその駅のことも、その駅で見かけたコージーコーナーも、そしていつか来るべき親しい友人たちと食べるコージーコーナーのケーキのことも、風のようにすべて砂塵に溶ける砂糖のように日々の多忙へとはかなく紛れ込んでいくのでした。
(たたた)