やだんこ!

共通点があったりなかったりする者同士で更新するWeb同人誌です

ラーメン二郎を嫌いにならないでください

ラーメン二郎

 

 誰でも一度は名前をきいたことがあることでしょう。

 

 ラーメン二郎だけを毎日食べている人もいるといいます。麻薬を匹敵するほどの中毒性と快楽、二郎の事以外何も考えられなくなるほどの恋慕と愛着。店舗ごとに異なるラーメンを行使する超越的な味覚・感覚的暴力。ラーメン二郎愛する人達は、畏怖を込めて、こう呼ばれます。

 

 ジロリアン、と。

 

 かく言う僕も、実は二度ほど、ラーメン二郎に足を踏み入れたことがあります。ですが、三回目に足を踏み入れることができないのです。

 

 むかしむかし、ある人に「二郎にいかない男子はだめだ」という話をされたことがありました。それは飲み会の場でのささやかな冗談だったのですが、若かりし頃のぼくは、そうか、と得心し、二郎に向かったのです。男になるためでした。

 

 二郎は混んでおり、並んでいました。誰も一言も話をしませんでした。床は脂ぎって滑りやすく、壁にはなぜか定期券がぎっしりと貼り付けられていました。店主は無愛想で、ラーメンを恐ろしい速さで量産していきます。女性の店員もいました。女性は無表情で真空パックからあけたばかりのもやしをラーメン皿に打ち込んでいきます。

 

 修行僧のような表情でラーメンをすする男たち……。そこは、昭和初期の工場でした。

 

 食券機のまえと、店に入る前の注意に「初めてはいる方はミニラーメン以外を頼まないようにしてください」という張り紙がありました。面白半分で「ラーメン大盛りニンニクマシマシ」などの魔法を使うことは許されないのです。

 

 私はなぞの液体の粘性によって、なぜかぬるぬるする椅子に座りました。そして、少しだけ待ちました。やってきたミニラーメンは小さくありませんでした。むしろ普通のお店の超盛りぐらいありました。

 

 濃厚を極める醤油味、塩の塊すら入っていそうな強烈な味わいのスープの上には油の層があります。麺は極太ですが、その麺に辿り着く前に、ニンニク・もやし・もやし・もやし・もやし・キャベツ・もやしで構築された暴力そのものを攻略しなければなりません。

 

 そして、油と漆黒のその中には死してなお豚であったことを主張するチャーシューらしき肉塊が極悪な脂身を保ち塩化物と化して魔神のように鎮座。もやしやキャベツのレギオンはまるで私を救済する天使。その頭上に輝く輪のようにかがやいてみえてくるのです。

 

 僕はミニラーメンを完食できませんでした。食べ始めて5口目ぐらいで絶望が口の中に舞い込んできました。50口目で半分ほどまで行きましたが、それまでに僕は人間としての尊厳をいくども失いかけました。

 

 そのあと、ジロリアンはいいました。「気に入らなかったか」と。

 

 僕は「無理」とだけ言いました。ジロリアンは悲しい顔をしました。「二郎のことを嫌いになるなら、せめて3回食べてほしい。一度目は衝撃だろうが、二度目は既知のものとなる。ラーメン二郎も同じだ。三回食べてだめだったら、諦めていい」

 

 僕はそれからしばらくして、悲しいことを乗り越えるために友人たちと二郎にいきました。友人は「ラーメン普通盛り野菜マシマシにんにくマシで」と頼みました。僕は普通盛りを頼みました。

 

 普通盛りは、我々が信じる普通概念など、所詮は相対的な概念に過ぎないこと、その相対性は状況や文化によって容易に差異化されてしまうか弱いものでしかないことを示していました。それは皿ではなく、もはや鍋でした。

 

 僕はでも、ラーメン二郎を嫌いになりたくなかったのです。ひっしでラーメンを食べたのです。

 

つづく

(たたた)