天の光はすべてラーメン二郎
都心にあるラーメン二郎で頼んだ普通のラーメンは、ミニラーメンをそのまま大きくした形をしていました。その皿はまるで鍋のように大きく、山と盛られたモヤシとキャベツに阻まれて麺も油層も、真っ黒いスープも見えませんでした。
隣に座った友人は、メガネをくいっと掲げながら「ここでは人間は生きられない……己の野生を開放しないことにはな!」と言い、ゆっくりと、箸をモヤシの中へと沈めていきます。
僕も見よう見まねで、まずモヤシに手をつけました。
無味無臭。本当にただのモヤシです。これをしばらく羊のように食べてから、やっと底から麺が現れるのです。
麺を一口食べた瞬間に、もうお腹いっぱいでした。麺を一口食べる。それだけで僕はカフェランチで食べるような、小さなハンバーガーを食べたあとのような膨満感があります。
やばい、と思いました。
それからのことは記憶にありません。
僕は打ちのめされた敗残者のような、というよりも敗残者そのものの気持ちで道路にへたりこんでいました。
友人に、もうラーメン二郎は食べたくないと言いました。
そのときに友人が述べたのが、その、「ラーメン二郎3回理論」というものでした。ラーメン二郎は一回目は衝撃とともに、二回目は暴力とともに、三回目で、その魅力に気づくことができるかもしれないという理論です。
僕はもう二回目まで使い切ってしまったのです。
数日たってから、もうちょっと体調がよくなったり、元気になったり、食欲が亢進することがあれば、ラーメン二郎を食べられるようになるかもしれないと思い直しました。
ですが、それから何年かしてから、食欲は減る一方であることに気が付きます。
白髪は増える一方。体重は落ちなくなっていきます。
ラーメン二郎の油と炭水化物と、火山のような熱量を受け止める気力を失ってしまったのだと、思います。
きっともう一度行ってしまえば、最後の一回をラーメン二郎を愛する前に、憎しみで使い切ってしまう。横暴そのものを麺にしたあのラーメンの魅力を知る前に。
ジロリアンたちの無限の食欲と敬愛を知る前に。
ラーメン二郎のあの疾風怒濤を受けとめる日はきっと来ないのだろうなと思い、いつか成りたかったジロリアンたちは、宇宙へと飛び立つ戦士たちのように見えるのでした。
自分は敗残した、惨めな宇宙飛行士なのでした。
ラーメン二郎に向かっていく人たちを見ながら、ぼくは『天の光はすべて星』という文庫本をそっとバックにしまったのです。
(たたた)