やだんこ!

共通点があったりなかったりする者同士で更新するWeb同人誌です

五大文芸誌ぜんぶの賞に投稿したよ大反省会

きのこです。

 


以前にも記事を書いていたところですが、わたしは、昨年夏ごろから今年の3月まで、五大文芸誌ぜんぶの賞に応募してみるというキャンペーンを行っておりました。

ひいひい言いながらもなんとか五誌すべてに投稿することができたのはよかったなあと思っています。

 


ただ、結果が伴いませんでした!!!ごめん!!!!

 


群像が一次通過していましたが、あとはすいません全部一次落ちでした!!!!

 


なぐってくれ!!!おれをなぐってくれ!!!

という感じなのですが、ものごとはそれだけじゃどうもならないので、反省をします。

 

 

 

◆ジャンルエラー

 


読み返して思ったのは、今回書いた5作品、全部ジャンルエラーじゃねえか、ということでした。

 


ジャンルエラーというのは、賞のジャンルに対して投稿した作品のジャンルがあっていないということです。

すごく平たく言うと、純文学の賞にSFをだしていませんか? という話です。

 


じゃあ純文学というのはなんなんだ、ということになってくるのですが、ちょっとここでは定義づけをやめることにします。定義の話だけでご飯が200合くらい食えちゃうからです。

 


なので、この場では、わたしの書いた5作品の超簡単なあらすじをみていくことで、純文学とは何かを考えてみることにします。なんだか手前味噌まみれですいません。

 


1作品め

・家の前にすしつぼがある。すしつぼはすしのはいっているつぼだ。しかしすしつぼというものについて語ることは人々の間では禁忌とされている。30歳の男がいてこわい。

 


2作品め

・ばあちゃんは洗剤である。ぼくは歩く競技の選手であるが、どうも僕も洗剤らしい。人間を飼う。

 


3作品め

・ぼくはイカだ。正確にいうとイカの被り物を被って海に暮らしている。たまにケーキが浮いている。wordのいるかが通り過ぎる。

 


すいません、あの、まだ3作品めなのですが、ここでちょっと止めます。

 


純文学というものの定義は難しいところと思います。蛇を踏んでも純文学だし風の歌を聴いても純文学です。

 


いま挙げたわたしの3作品は設定が爆発している感じがします。

爆発っていうといいことみたいになるので、もっと言っちゃうと、おもしろツイートみたいになっているような気がします(あらすじの書き方も悪いですが!)。

 


おもしろツイートが純文学かっていうとちょっと難しいところだと思います。

 

 

 

◆1本めについて

 


群像の一次を通ったのは1本めです。

書いた本人としてはめっちゃ面白くて最高だと思っていたのですが、やっぱりジャンルエラーかなという気がします(なお、文章力などの諸問題が棚上げになっていること非常に申し訳ないのですが、ちょっと今回はジャンルの話だけさせてください)。

 


ただ3作品の中では一番純文学っぽいような気がします。

 


・ばあちゃんは洗剤である。

・僕はイカだ。

に関しては、やっぱりなんちゅうか、現実味のなさ、ファンタジーに近い感じをおぼえますよね。

 


それに比べると、

・すしつぼというものについて語ることは人々の間では禁忌とされている。

はちょっとまだ、どっかのやばい村にならありそうという感じをうけます。

この伝承みたいな感じがかろうじて純文学であると言えなくはないかなという気がしてきませんか。

 


現実にありそう、というところのライン引きが純文学の定義づけには大きく関わってきそうだなとわたしは思っています。

 


もう一回すしつぼについて考えてみます。

やっぱりすしつぼというものがちょっと突飛すぎるのかもしれません。

あります? すしつぼ。家の前に。ないんですよ。

 


もちろん、当たり前なんですが、小説はないものを書いてもいいです。

ただ、ないものをあるかのように書くのはめちゃめちゃ筆力のいることです。

さらにいうと、ないものがあるという世界が当たり前であるかのように書き、なおかつ読者に疑問を持たせないというのはもっと大変です。

 


その辺で通らなかった可能性もあります。

たぶん最後の「読者に疑問を持たせない」のあたりなのかもしれません。

 

 

 

◆だんだん持論続きで何を書いているのか怪しくなってきます

 


純文学ってあんまり疑問を持ちながら読む類の小説ではないという気がします(これはむずかしいところだぞ~)。これはその、世界観そのものにという意味です。

 


いくら、この世界はあります!!と強固に言っていたとしても、この世界、ある? と読み手が思ってしまうと文章自体を楽しめなくなるということです。

 


設定が突飛なものだけでなくて、たとえば恋愛を描いていても同様だと思います。

こんな恋愛、ある? ってなったら文章を楽しむどころではなくなります。

 


ないけどあるわ、くらいがちょうどいいのかもしれません。あるわ、が、100パーセントだとそれは単なる見たことあるやつですもんね(見たことあるやつをどううまく文章で魅せるかというやり方もあります)。

 


文章のうつくしさとかよさ、文体のうつくしさとかたのしさとかよさを楽しむ、というのが純文学の楽しみ方の一つかなあとわたしは思っているのでこういう書き方になりました。

 

 

 

◆まとまらなくなってきたので、速いうしを書きます

 


=

 

 

 

◆おわりに

 


がんばって書いていくのでみんなも強く生きていきましょう。おー!