小説を書く無職における忙しさとは
三月末の純文学系小説書きは忙しい。
なぜなら、文藝、新潮、すばるという純文学雑誌三誌の新人賞が重なっているからだ。
ひとつ小説を書き上げたとして、どれに出すかが問題である。
この雑誌の賞はこういう傾向だからこっちに出そうとか、字数制限的にこれにしか出せないとか、そういうことをいろいろ計算して悩む投稿者の姿が、街のあちこちで見られ、春の風物詩となっている。
多分に漏れずわたしも悩んでいる。
去年夏に五大文芸誌の新人賞ぜんぶ応募するぞプロジェクトを(勝手にひとりで)立ち上げたので、この三月末の三誌の賞には、三誌ともに作品を出す予定でいる。
さらっと書いたが鬼のようなスケジュールだった。去年の夏からずっと何かしらを書いていた気がする。おととい、あーもうこれは無理だ、間に合わない、八百万の神なんとかしてくれ、と雑に祈った。そうしたら昨日書きあがった。なんとかなるものだなと思った。サンキュー八百万。
ちなみに文學界はもう、受賞どころかどの予選段階も通過していなかったことがわかっている。天に召されたい。
どの予選段階も通過しなかった小説がこれです。わたしは結構好きな話です。
【小説】セミコロンが(あった) http://yokaikinoko.blog.fc2.com/blog-entry-116.html
それはさておきどれをどれに出すか悩んでいる。
純文学はあらすじを伝えにくいから、出てくるモチーフでいうと、三本の小説はそれぞれ、うしと、足の裏と、いかだ。
どれをどれに出したらいいですかね? わかるかい。
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わたしは小説を書く無職と名乗っているのだが、最近ちょいちょいバイトをしてしまっているので、無職じゃないんじゃ疑惑がある。
あと、よく、結婚していて働いていないという状態は専業主婦(主夫)というのではないかと言われることもある。
答えはひとつだ。
精神的に無職であれば人はみな無職なのである。
だからわたしは永遠の無職だ。
かっこいいと思いませんか? 永遠の無職。中二病感もあって。無職はおそらく中学二年生が目指さない職業ナンバーワンなのに、永遠、をつけるだけで中二病感すごくなるの不思議ですね。永遠というワードがめっちゃめちゃ中二病なんだろうな。永遠の0。
(きのこ)