やだんこ!

共通点があったりなかったりする者同士で更新するWeb同人誌です

リレー小説・紬 (完結)

滝の神様になって一年が経った。特にすることはない。早朝も真夜中も滝のそばにいるだけだ。たまに人や魚の形をかりて泳いだりもする。時間帯を間違えると、たまたま訪れた人間にぎょっとされることもある。だいたいいつも美少女の姿で、しかも裸で泳いでいるからだ。べつにそういう趣味ではない。裸の美少女の姿でいるのが、一番抵抗がないからだ。それには神様になる前の記憶が関係しているのかもしれないが、滝の神様はもう、神様になる前のことを思い出せなくなりつつある。

とは言え、美少女姿の滝の神様を見た者の中から、滝の神様に惚れてしまう男が出て来るのも無理なかった。

人生に疲れ果てて山に入ったはずの男は、じっと死を待つことも出来ず、あてもなく彷徨って偶然、滝の神様のいるこの場所に着いたのだ。

最初、遠くから見ていただけだったのが、いつしかこっそりと近づいていった。男に邪な気持ちはなかった。ただ、より近くで泳ぐ美少女の神性を感じたかった。それは今までの男の人生にはなかった感情だった。

滝の神様は自分の方へ近寄ってくる男のことを認識していた。男はいつからか物陰に隠れることも忘れて滝の神様に近づいていたのだ。

男がはっと気付いた時には水の中へ入っており、美少女が目の前にいた。美少女の肌は輝いているかのように白くうつくしかった。その輝きは人間のものではないように思われた。

思わず男が手を伸ばすと、美少女は消えてしまった。

まるで水に溶けていくような消え方だった。男はぼうぜんとしながらも心のどこかで納得していた。とても自分と同じ人とは思えなかったからだ。もしかしたら水の妖精なのかもしれない、なんてことも考えた。

それならば無理に追いかけてもしょうがない。おそらく向こうが気を許してくれない限り姿は見せてくれないだろう。

明日も来てみようか。また会えるだろうか。

「明日か……」

男は自嘲した。ついさっきまで、死のうと思っていたのに。そして、自分が以前ほど疲れていないことに気づいた。なんとなく、元の暮らしに戻ってやり直せる気がした。男は滝に向かって手を合わせると、山を下っていった。

 

こんなふうに滝の神様は存在するだけで、その神性を発揮して、時たま人を救っていた。ときに人にとどめを刺すこともあった。コミュニケーションを取らないことが滝の神様が自らに課したルールだったが、それによって拒絶されたと感じ、命を断つものもいたのだ。

だけどそれはしょうがない。神になってからわかったが、命は巡っていくものだから、死は悪いことでもなんでもないように思えた。むしろその個体にとって自ら命を断ちたくなるほど生きづらいならば、さっさと地球に返還されればいいのだ。そう、かつての自分のように。

まさか神になるとは思っていなかった。

とにかく毎日生きづらくて、そもそも生まれつき人生そのものに価値をあまり見いだせず、会社を辞め、友人とも疎遠になり、こないだやってきたあの男のように滝をぼおっと眺める日々が続いていた。かといって自ら死ぬような元気もなく、雨の降った翌日に滝を訪れ、うっかり足を滑らせただけだった。誰かに背中を押されたような気がしないでもないが、まあそれはいい。

 

毎日とても心穏やかに過ごせている。自然というものは心をよせて過ごしていれば変化に富んでいて、飽きることがない。その変化に驚くことはあっても、人間社会のように心が疲弊することがない。幸運な死だったように思う。

いつまでこの日々が続くのか、倦んでしまわないか、孤独にやられてしまわないか……かすかな不安が心によぎることがないわけではない。けれどそれは一瞬で滝に溶けていく。そのあとは、流れ落ちていく水の姿を見るだけで強烈な幸福感がやってくる。かぞえきれないほどの鳥の鳴き声や、四季に伴う植物のうつりかわり、森に住む動物たちの姿、途方もなくゆっくりと変化する苔や岩の様子に、刻一刻とかわる空。眺めるものは山のようにある。

このままでいいのだ。どうしようもなく飽きたら誰かの背中を押せばいい。なぜかはわからないが、そんな気がする。

(完)