小説を書くアルバイト
知り合いが、小説を書くアルバイトをしていた。
こういうストーリーで、主人公の名前は〇〇で、という指定をお客さんから受けて、その通りに小説を書くというものだ。
恋愛小説の依頼が多いらしい。
二次創作やいわゆる夢小説の依頼が多いのかと思ったら、現実にいる人物と自分の恋愛を描いてほしいなどというパターンも結構いて、あと単純に読みたいものをリクエストしてくる人もいるそうだ。
収入は時間給にするとそんなに普通のアルバイトと変わらないと話していたが、小説を書いてお金をもらえるというのはすごくいいなと話を聞いた当時思った。
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投稿用の小説を書く時間を確保しつつ働くというのはなかなか難しい。投稿をしている人の中にはけっこうな割合で無職がいるような感じをおぼえる(自分が無職だからそう思うだけ説はある)。
さて、無職でおなじみのわたくしだが、じつは最近在宅ワークをちょっとやっている。
無職と言い続けるの仕事相手に悪いのでオープンにすることにした。
29歳無職が働いてみたという本を出したい。普通だから売れないと思う。
どんな仕事をやっているかというと、若者が主体のサイトで小説的なものを書くというやつだ。
わたしのおもしろいと、10代の子たちのおもしろいがぜんぜん違うことがままあって、それがおもしろい。
あれ? なぜ全然ウケていないのか? と思うときはたいていわたしのギャグセンスが昭和すぎるときだ。
すぐダジャレとか言ってしまう。担当の人にも「ダジャレはいいんですけどおもしろいダジャレにしてください」とまじで落ち込むやつを言われた。
最近はダジャレ禁止令を自分に課している。おかげで投稿用の小説がダジャレだらけになっている。ダジャレ小説で賞とりたいな。昭和のダジャレが現代に蘇る! と帯に書いてもらうんだ。
ダジャレ、かっこいい。
(きのこ)
【旅かえる】に飽きずにいられるのか、の続報
こんばんは、この旅かえるシリーズが地味に人気でちょっとうれしい紬です。
さて、今回はかえるの浮気疑惑の続編です。こちらの記事でも触れました。
あの女(ねずみ)以降も、蝶がでてきたり、蟻がでてきたり、かえるの浮気疑惑は絶えず。かえる仲間としょっちゅうざわざわしておりました。
蝶と蟻。浮気と同時になにかへの入信疑惑も高まる一枚。
そんなある日、かえる仲間から送られてきた衝撃の一枚。
「新しい女(カニ)ができたみたい。。」とのこと。
カニって。
いろんな疑問がわたしの頭の中をよぎりました。カニって水のないところで長旅とかできるのか……?数ある小さい生き物のなかからなぜカニをチョイスしたのか……?なぜカニ……?(混乱)
とはいえ、前回の記事で「このゲーム飽きるかも危機」に陥ったわたしを無事に旅かえるワールドに引き戻してくれたこの一枚。わたしのかえるもカニとのツーショット写真を送ってきてくれることを願いながら、今日もかえるの支度をつづけます。
紬
【旅かえる】幸運の鈴とは、いったい
こんばんは、紬です。
さっそくですが『旅かえる』、飽きてきました。なかなかこんな報告するブログもないと思うんですが、これには理由があるのです。
『旅かえる』には「幸運の鈴」という3000本の三つ葉でようやくゲットできるレアアイテムがあります。ご飯が最大100本なので、なんと30倍! 『旅かえる』界では相当なセレブアイテムです。
コツコツ頑張って手に入れた鈴(右上の「おまもり」)
やっぱり期待するじゃないですか。ご飯代もけちって、三つ葉をいっぱいくれるお友達とたくさん仲良くして、頻繁におにわで三つ葉を採集し、ようやく購入。
うきうき支度し、旅に出るカエルを見送り、いつ帰ってくるのかな? なに持って帰ってくるのかな? とどきどきしながら待つ日々。
最初の数回は良かったんですよ、「レアアイテムもたせたからってすぐ結果でるわけじゃないもんなあ」くらいに構えてました。でも何回持たせても、待てど暮らせど、なんにも特別なイベントが起こらない……。むしろ旅の写真やお土産が減ったような気もする……?
カエル仲間の友人に聞いても「何度ももたせてるけど、なにもないよ」の一言。結局「幸運の鈴」は精神的なものだったのか? という解釈に至りかけました。
頑張って手に入れたアイテムでなにも特別なことが起こらないと、やっぱり残念な気持ちになりますよね……? ゲームでも現実でも。
それともアイテムの組み合わせの問題なのか? 実はじみーにいいこと起こってるのか? ヘビーユーザーがいたらぜひ教えてほしいです。
紬は旅かえるに飽きずにいられるか! 待て、次号。
(紬)
ぬいぐるみこねこね
こむぎこをこねたものがかわいい。
↑こういうまるいキャラクターである(著作権とかの扱いがわからないので自分で描いた)
仏教の修行をしたり悟りを開いたりしているキャラクターという位置付けらしく、LINEスタンプでは宇宙を感じたり五体投地したりとやりたい放題のこむぎこをこねたものである。
こねたい…
こむぎこをこねたものをこねたい…
しかしぬいぐるみを新しく買うと(でかいサイズから小さいサイズまで発売されている)我が家がぬいぐるみハウスになってしまう。
ただでさえ使っていないぬいぐるみはしまってあるのだ。
おいおい使っていないとはどういうこと? 何に使うの? という疑問はあるだろう。
わたしはぬいぐるみを
・鑑賞する
・抱く
・こねる←new!
という風に使っている。
最近アツいのはこねることだ。
柔らかめのぬいぐるみを用意する。そして両手で掴む。あとは気の向くままにこねくりまわす。以上である。
これが非常にストレス発散になる。やられているぬいぐるみの方はたまったもんじゃないと思うので、こね終わったらちゃんとケアをする。
ケアというのはメンタルのケアである。
ごめんね〜〜〜こねこねしてごめんね〜〜〜かわいいからこねちゃうんだよ〜〜〜〜
と言いながら頭を撫でたりする。そのうちテンションが上がってまたこねたりする。こね無間地獄モードだ。
今年で30歳になるのに仕事もしないでぬいぐるみをこねてていいのかという気持ちはなくはないのだが、もうそんなこと恥ずかしくないくらいは無職が板についてきた。こわいものなんて年金未払いくらいだ。
ぬいぐるみをこねるのおすすめです。ぜひみなさんもご自宅のぬいぐるみをこねてみてください。ちゃんとメンタルのケアまでやってくださいね。ぬいぐるみのメンタル大事。みなさんのメンタルも大事。
(きのこ)
親の期待に応える、にもいろんなパターンがある話
こんにちは、紬です。
Amazonプライム・ビデオで『彼氏彼女の事情』のアニメがあって、うわーぁ、なつかしい! とおもって見ました。
見栄のためだけに努力し尽くす主人公雪野は、THE朝ドラヒロインが跋扈する当時の少女マンガ界ではかなり革新的で「なんかすごいマンガがあらわれたな……?!」とドキドキしたものです。
そもそもこの『彼氏彼女の事情』という漢字の多いタイトルからしてぶっとんでた記憶があるんですが、でもすげーーー面白かったよなと懐かしくなりました。
漫画のほうの『彼氏彼女の事情』で印象的だったシーンがあるんですが、見栄のために頑張ることがいかに虚しいか気づいた雪野が「しまった! ありのままの自分で生きていれば吉本興業に入って浜ちゃんにどついてもらえていたかもしれないのに」と嘆くものでした。
少女マンガとしては後悔するポイントが完全におかしいのですが、これ最近よく思い出すんですよね。なんでかっていうと、私も似たようなもんだな、と今更(!!)気づいたからですね。
私の場合、見栄ではなく親からの愛を受け取るためで、そのうえ雪野とはベクトルが正反対の方向に頑張っちゃったわけです。
というのも、わが家は兄と姉の出来が良く、どうも親は出来の悪い子を欲しがっている気がする、と感づいた末っ子のわたし。
もともと出来もあんまり良くなかったので、これ幸いとばかりに出来の悪さをことあるごとにアピールし、たまーーーになんか良い結果を出したり出さなかったりして、親の愛を獲得したものでした。
(ちなみにここも「もともと出来の良かった雪野が見栄のためにその長所を伸ばす」という設定と似ている)
具体的な親の要望を推測するに「出来は悪いががんばって良い結果を残すタイプ=手はかかるが適切に甘えてくれてなんだかんだ親の世間体は守ってくれる」子であってほしかったみたいですけど、まあ良い結果を残せてたかどうかは大目に見てほしい項目ですね。てへ。
果たしてありのままの紬を伸ばしていたらうっかり世界放浪で生活できるタイプの人間になっていたかもしれないけれど……という回想をときどきします。
ただこの「上の人が求めてるものを返す」は組織に属するにはめちゃめちゃ便利なんでまぁ獲得しといてよかった特技かな、とおもいます。ちなみにデメリットとしては「できる子、と思われるのが本能的に怖い」です。あんま思われないですけどね。。。
うわーこの日記すごい反感かいそうだな、まぁいっか!
春ですね(о´∀`о)
紬でした。
(紬)
人あるいはモルモットと対話すること
わたしはすげえよくしゃべるのだが、しゃべるのが苦手だ。
苦手なので多弁になるのだと思う。
小学生の終わりから中学生ころにかけて、なるべく人の話を聞いて相槌を打つことだけするようにしていた時期がある。
どんな風にしゃべっても本当に伝えたい内容を言葉にできないから、変なことを言ってしまって人を困らせたり嫌な気持ちにさせているなという気がしていたのだ。
たぶん、間違いなく、困らせていた。
あんまりしゃべらないのも心配されるので、中学校の後半くらいからちょっとずつしゃべるようにしていくと、驚くくらいコミュニケーションが円滑になった。
当たり前だ。なにも言ってないからなにも伝わらない。雰囲気だけ出して、とにかく察してほしがりの人になっていた。めんどくさい女にもほどがある。
高校に入って文芸部に入部した。小説を書いたり小説の話をするつもりで入ったのだが、はじめの部会で渡されたのは短冊だった。これにいま俳句を書けという。
俳句なんて書いたことないよ〜〜〜〜
俳句やるなんて聞いてないよ〜〜〜〜
騙された〜〜〜〜
と思いながら俳句甲子園の全国大会に3年間出た。なんだかんだいって楽しくなったのだ。
俳句を書いて人に見せると、気持ちのふわっとした部分がそのふわっとのまま伝わるのが不思議だし面白かった。
その後俳句とは10年くらいお別れするのだが(お前の俳句は俳句じゃないと言われて腹が立ったからという五歳児レベルの理由である)、人に何かを伝えるっていろいろやり方があるのね、ということがわかった。
きょう動物園に行ったら、元相方(彼氏のことを指すくそワードではなく、お笑いのまじ相方です)がモルモットを抱きながら、うち来る? うち来る? と聞いていて、モルモットがぴくりと動くと、あ〜〜〜〜うんって言ってる〜〜〜〜と言っており、そうか、そういう対話の仕方もあるのか、と思った。
元相方は猫などにアレルギーがあるので鼻水と涙を流しながら、それでも、うち来る? と言っていた。やめとけい。
(きのこ)
ウェイに至る病
どうも無限大です。
隠居生活を満喫中のこの身が忙しいなんてことあるわけないんだけど、自分だけがはじめましてなのには理由がある。
最近一番ハマっていたのがドラマ『アンナチュラル』で、そのことを書きたかったのだけど書くに書けなかった理由がある。
もしこれから「アンナチュラル」を観るという人、あるいは米津玄師が好きという人は、即刻ここから去った方がいい。読んだら最後、自分と同じ呪いにかかってしまうかもしれない。
『アンナチュラル』の素晴らしさはもういろんな方が言葉を尽くされているので言いたいことは何もない。
石原さとみ演じるミコトの凛々しさもひたむきさも、井浦新演じる中堂さんの漫画みたいなかっこよさも可愛さも、しょうじのしなやかさも、六郎のヘタレっぷりも健気さも、最後はぜんぶ愛しかった。
みんな何かが足りなくて、空洞があって、それでも彼女たちが擬似的な家族のようなチームのような何かとして緩やかに連帯している姿には心打たれた。
伏線も綿密で構成も緻密で、コインのように表裏がひっくり返る様は圧巻だった。日本のドラマはたぶん予算もスケールも比べものにならないはずの海外ドラマに全く遜色ない。ネトフリ廃人の自分が言うので間違いない。
そして、米津玄師の主題歌「Lemon」との相性がとにかく最高だった。ドラマ主題歌初のくせに、「失われてしまったものをいかに取り戻すか」みたいなドラマのテーマ性を汲み取ってここまで見事に曲にするなんて天才かよ。
イントロなしでブレスから始まる「Lemon」が毎回本編のここしかないってタイミングで流れて、どっちかってーと明るいメロディーなのに失われた誰かをひたすた思って思って思って身のよじれるほど思いまくる歌詞が重たくのしかかってきて有無を言わさず涙腺を揺さぶる。あざといというかもはや卑怯だった。もうほんと米津玄師、変態かよ。
悔しいけどiTunesで単曲配信でも購入しちゃったし久しぶりにシングルCDなるものも買っちゃったよね。
そのうちに、あることが気になって頭から離れなくなった。ドラマで聴いてるだけだったら、正直そこまで気にならなかったと思うけど、なまじ曲にもハマって音楽として聴くとすぐ、ある音を耳が拾うようになった。
曲間に挟まれる妙な合いの手。
それは、何度耳を澄ましても、どうしても「ウェイ」としか聴こえない。パリピかよ?
おかしくない!? 別離を偲ぶ曲の合いの手に、パリピ選ぶのおかしくない!?
もちろん、本人的にはそんなつもり一切ないのかもしれない。でも、もうその瞬間から、自分にはパリピの合いの手にしか聴こえなくなってしまった。
気付いてしまった時は、可笑しかったと同時に、文字通り頭を抱えてしまった。この先、最高のシーンで「Lemon」が流れる度に、自分の頭には必ずパリピが浮かぶだろうことが容易に想像できたからだ。その瞬間の絶望感!
冗談だと思うかもしれない。百聞は一見に如かず。それではお聴きください。米津玄師で、「Lemon」
冒頭7秒くらいから13秒までで早くも1ウェイ入っている。なお、1曲通しで聴いた場合、9ウェイが入る。
もしかして、と思った。ドラマで主題歌として流れる時は、パリピは追放されてんじゃねーか、と。実際全然そんなことなかった。しっかりウェイいただきました。
最高の主題歌で最高のドラマなのに、「Lemon」が流れるたびに頭の片隅でウェイが気になってちゃう視聴者の気持ちたるや!
自分はこのことを、どうしても一人では抱えきれなかった。それで、ついうっかり(?)一緒に『アンナチュラル』を毎回楽しみにしている同居人に話してしまった。
「ねえ、よく聴いて。ここ! ちっさい声で『ウェイ』って合いの手が入ってくるでしょ!? なんなのこれ!? パリピ!? 米津玄師、実はパリピだった!?」
めっちゃキレられた。しょーもない印象植え付けやがって、おまえ一人でウェイの呪いにかかってろよふざけんな! って。ふひひ。人を呪わば穴ふたつ(違う)。
その後、2人で「Lemon」聴いてるとウェイのところで顔見合わせて爆笑するようになってしまって、ドラマ本編でも一番シリアスな場面で流れるもんだから爆笑はしないまでもクスッとなっていつも泣き笑いみたいな感じだった。
ようやく最終回が終わった今だから言える。『アンナチュラル』掛け値なしに最高だった。そして米津玄師、おまえは天才だし変態だ。一生ついていく。ただ、もうウェイは使うんじゃねーぞいいな泣!!